世界の有名なダイヤモンド5選!

天然の鉱石としては最も硬く、まばゆい輝きを放つダイヤモンド。

世界にはその大きさや逸話によって有名なダイヤモンドがたくさんあります。

この記事では、オルロフ、コー・イ・ヌール、ホープ、リージェント、カリナンの5つのダイヤモンドを紹介していきます。

いくつかの有名なダイヤモンドについて知れば、世界史の側面も知ることができるでしょう。

もし気になったダイヤモンドがあれば、そのダイヤモンドの名前で画像検索してみてください。

*注
ダイヤモンドの大きさを表す単位としてカラット(carat、ct)が使われており、1ctは0.2グラムと定義されています。

1ctでラウンドブリリアントカットの場合、横幅が6.52mm、深さが3.94mmとなります。100ctでは重さは1ctの100倍の20グラムであり、大きさは1ctの4.64倍(100の3乗根)ほどとなります。

 

オルロフ・ダイヤモンド(Orloff Diamond)

オルロフ・ダイヤモンドとは

オルロフ・ダイヤモンドは各辺30mm余りで、卵を半分に切った形をしている190ctほどのダイヤモンドです。淡い青色~緑色の色合いを呈しており、皇帝の王笏にセットされてモスクワのクレムリン宮殿で展示されています。

オルロフ・ダイヤモンドは1774年にオランダのアムステルダムで、その名前の由来となったグレゴリ・オルロフ伯爵により45万ドルで購入されました。オルロフ伯はポチョムキンの台頭による失地回復をはかるため、これをロシアの女帝エカテリーナ2世に献上しました。

しかし、献上の甲斐なくエカテリーナ2世の寵愛を失っていき、オルロフ伯はその後失意のうちに世を去りました。一方のエカテリーナ2世はこのオルロフ・ダイヤモンドを愛用の王笏につけていましたが、その後ロマノフ王朝は滅びました。

このオルロフ・ダイヤモンドは関わるものを不幸にするといういわくつきのダイヤモンドで、歴史ミステリーとしても人々の興味をひいています。

グレート・ムガル・ダイヤモンド(Great Mogul Diamond)

 

オルロフ・ダイヤモンドは、元はグレート・ムガル・ダイヤモンドだったのではないかといわれています。
グレート・ムガルはインド・ゴールコンダ付近の鉱山で発見され、その原石は780ctほどであったそうです。このダイヤモンドの最初の所有者となったムガル帝国の王子は、「かの石に触れるものに災いあれ」という言葉とともに、これを寺院に寄贈しました。

タージ・マハル建設で有名なムガル皇帝シャー・ジャハーンの息子であるアウラングゼーブ帝が、ヨーロッパ人で初めてフランスの宝石商タベルニエにダイヤを見せました。タベルニエがそこで見たものは、卵を半分にしたような形の280ctほどのダイヤモンドでした。

その後1739年にムガル帝国の首都デリーはシャー・ナディール率いるペルシャ軍によって陥落させられ、グレート・ムガルやコー・イ・ヌールなどをふくむ皇帝の財宝は、いったんはペルシャの手に渡りました。しかし1747年にシャー・ナディールは部下の将校たちに殺害されたとき、これらの宝石の多くが行方不明となりました。

また、グレート・ムガルはインド南部のスリランガン寺院にあった女神像の瞳として用いられていたという伝承もありますが、この場合も1750年頃に何者かに盗まれたとされています。

グレート・ムガルがその後紆余曲折を経て、最終的に1774年にアムステルダムでグリゴリー・オルロフ伯爵の手に渡った…のかどうかは定かではありません。ただその間、関わるものの多くに、結果的に不幸をもたらし続けました。

コー・イ・ヌール・ダイヤモンド(Koh-i-Nur Diamond)

14世紀にインド北部で見つかる

コー・イ・ヌールは、インドのカーカティヤ朝の時代に、グントゥール地方(現在のアーンドラ・プラデーシュ州)で採掘されたといわれています。

コー・イ・ヌールは186カラットもの大きさがあり、発見当時は世界最大のダイヤでした。その大きさと美しさから、数多くの権力者の欲望の的になっていきます。

14世紀初頭に発見された頃は、インドのラジャ王の一族に所有されていました。また、カーカティヤ朝の国王が、寺院に鎮座していた女神像の目として、コー・イ・ヌールをはめこんだことがあるといわれています。

ムガール帝国やペルシャなどの間を転々とする

インドの王侯がコー・イ・ヌールの所有を巡って争ったりしましたが、その後はデリーのスルタン(権威者)達によって所有されていきます。

1526年にはインドに侵攻してきたムガール帝国により、皇帝の所有物となりました。タージ・マハルの建立で有名なシャー・ジャハーン帝が所有者だった時期もあります。

1739年にペルシャ王であるシャー・ナディールがインド北部に侵攻し、デリーを占領します。そこで宝石の輝きを見たペルシャ王は「コー・イ・ヌール(ヒンディー語で光の山という意味) 」と叫んだといわれており、これが名称の由来となりました。

ちなみにこのとき、182カラットのダルヤーイェ・ヌール(光の海という意味)もペルシャ王の手に渡っています。

その後パンジャブの虎といわれたラジット・シンによって、ペルシャはインドから追い出され、コー・イ・ヌールは産地インドの元へ奪回されました。

イギリス王室の王冠に嵌められる

しかし、そのインドもイギリスの侵攻を受けて1849年に植民地化されます。コー・イ・ヌールは1850年に東インド会社を経由してイギリス王室へと渡っていきました。

コー・イ・ヌールは1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会に出展されます。しかし思ったよりも輝きが少ないことに、人々が大変失望したといわれています。

そこでビクトリア女王は、アムステルダムから研磨師を招いてコー・イ・ヌールを再研磨させます。再研磨前には186ctあったコー・イ・ヌールは、再研磨後に大きさこそおよそ半分の108.93ctになったものの、ブリリアントカットにされて以前よりも輝きを放つようになりました。

このコー・イ・ヌールはイギリス王室の王冠の中央に嵌められ、戴冠式などの儀式の際に注目を浴びています。発見以来、幾多の王の手を渡り歩いてきたコー・イ・ヌールは、現在では英国王室において重要な役割を担う宝石となりました。現在はロンドン塔で展示されています。

ホープ・ダイヤモンド(Hope Diamond)

最初の呪い!?

サファイア・ブルーが美しい45.50ctのダイヤモンドですが、所有者に不幸をもたらすといういわくつきのダイヤモンドです。

探検家兼宝石商で知られるジャン=バティスト・タベルニエが、1642年にインドを訪れた際、112.25ctのブルーのダイヤモンドを購入しました。

タベルニエはこのダイヤモンドをフランスに持ち帰り、そこでルイ14世の手に渡りました。そしてルイ14世の命によってハート形に再研磨されたといわれています。

その後ルイ16世と王妃マリー・アントワネットに受け継がれましたが、1792年のフランス革命のときに王室財宝庫から盗難され、消失しました。ルイ16世とマリー・アントワネットは、このとき断頭台の露と消えています。

呪いはホープ家にも…

行方不明だったこのダイヤは、1830年にロンドンで行われた競売で再び姿を現します。サイズはかなり小さくなっていました。

競売でこのダイヤを競り落としたのが銀行家のヘンリー・フィリップ・ホープ。その後ホープ家が4世代にわたって所有したため、ホープ・ダイヤモンドの名がつけられました。

しかしホープ・ダイヤモンドがホープ家で4代にわたって所有されていた間に、当主が事故に遭ったりなどの災難が続き、最後はホープ家自体が破産してしまいました。

呪いはその後も

ホープはその後、トルコ皇帝のアブデュルハミト2世が購入しました。しかしその専制政治への反発もあり、アブデュルハミト2世はホープの購入後まもなく退位させられています。

次にホープの所有者となったのは、アメリカの大手新聞社「ワシントン・ポスト」紙の跡取り息子のエドワードB. マクリーン。夫人のため、1911年に宝石商から購入します。

しかしマクリーン夫妻の10歳の息子が交通事故で死亡、そしてマクリーン夫妻は夫婦生活が破綻し離婚。マクリーンは精神病院で狂死します。それでもマクリーン夫人はホープを所有しつづけました。

マクリーン夫人の死後に、宝石商のハリー・ウィンストンがホープを購入します。しかしウィンストンは4度も交通事故に遭い、事業にも失敗して破産。最終的にホープはワシントンにあるスミソニアン博物館に所蔵されることになり、現在に至っています。

インドからフランスに渡り、イギリスとトルコを経てアメリカへ。現在はその呪いがおさまっているとよいのですが。

リージェント・ダイヤモンド(Regent Diamond)

インドからイギリスへ

リージェント・ダイヤモンドの原石は、1698年にインドの鉱山で発見されました。410ctを超える大きな原石でしたが、これを発見した奴隷労働者は、自らのふくらはぎの中に隠して逃亡をはかります。

しかしイギリスに渡る途中で船長に見つかり、殺害されて原石も奪われてしまいます。そして原石はマ<ドラス駐屯地の総督であったトーマス・ピットに買われ、イギリス本国に送られました。

リージェント・ダイヤモンドはこのピットの名前に由来して、ピット・ダイヤモンドとも呼ばれています。

フランスの摂政が競り落とす

イギリスに渡った原石は、140ctのクッション・シェイプに研磨され、1707年に競売に出されます。競り落としたのはフランスのオルレアン公爵です。リージェントの名前はオルレアン公爵が当時ルイ15世の摂政(リージェント)であったことに由来します。

オルレアン公爵はリージェントをルイ15世に謙譲し、リージェントはフランス王家の至宝として所蔵されることになりました。

ナポレオンとの縁

1792年のフランス革命時に王室財宝庫から盗難に遭い消失しましたが、その後発見されます。リージェント・ダイヤモンドは摂政であったナポレオンが軍馬を買付ける際の担保となり、ナポレオン率いるフランス軍の欧州における勢力拡大に貢献しました。

そして1804年に行われた戴冠式において、皇帝となるナポレオンが腰に佩いた剣の柄にリージェント・ダイヤモンドがはめ込まれていたことが、戴冠式の様子を描いた絵画で確認できます。ちなみにリージェントを剣に取り付けたのは、宝石店ショーメの創業者であるニトです。

ナポレオンの追放後、彼の妻マリー・ルイーズによってオーストリアに持ち出されましたが、マリーの父親のオーストリア皇帝によってフランスに返却されました。その後1887年から現在にいたるまで、パリのルーブル美術館で展示されています。

カリナン・ダイヤモンド(Cullinan Diamond)

世界最大のダイヤモンド

カリナン・ダイヤモンドはこれまで発見された中で最大のダイヤモンド原石です。その大きさはなんと3100ct(約620g)。原石が発見された鉱山の所有者サー・トーマス・カリナンの名前にちなんで、カリナンと命名されました。

カリナンは1905年に南アフリカの鉱山で発見された後、当地のトランスヴァール政府に売却され、そこからイギリス王室に贈呈されました。3100ctというと、球状であればソフトボールくらいの大きさがあり、ダイヤモンドとしてはあまりにも巨大でした。

カットされるがそれでも世界最大級

そこで贈呈された当時のイギリス国王エドワード7世は、この原石のカットを命じます。その結果、カリナンの原石は9個の大きな石と、96個の小さな石に分割されました。そのうち大きな石に対しては、大きなほうから順にカリナンⅠからカリナンⅨというギリシャ数字の番号が振られました。

分割されたうちで最も大きいのがカリナンⅠで、530.20ctもあります。このダイヤモンドには偉大なアフリカの星(The Great Star of Africa)という名称が与えられています。、1985年にザ・ゴールデン・ジュビリー(Golden Jubilee Diamond、545.67ct)に抜かれるまでは、研磨済み単体ダイヤモンドとして世界最大でした。

そして、2番目に大きなカリナンⅡも317.4ctもあります。アフリカ第二の星(Lesser Star of Africa)の別名があり、Lesser(より小さい)ではありますが、研磨済みダイヤモンドでは世界第4位の大きさです。

カリナンは王冠やブローチやネックレスなどの一部となり、すべてイギリス王室か王族個人により所有されています。そのうちいくつかはロンドン塔で展示されています。

まとめ

世界の有名なダイヤモンドを5つご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

現在ではロシア、ボツワナ、コンゴが世界三大ダイヤモンド産地となっていますが、古代や中世ではインドのダイヤモンド産出量が多かったようです。

ちなみに世界で初めてダイヤモンドを採掘したのはインドで、その当初はインド石と呼ばれていました。また、原始的な方法ではありますが、インドではある程度の研磨技術もあったようです。

まだ4Cの概念もない時代から、研磨がなされていない原石であっても、ダイヤモンドはその輝きで人々の心を惹きつけてきました。高価で神秘的なものと考えられ、また権力の象徴でもありました。所有すると不幸になるという噂があっても手に入れたくなる、抗しがたい魅力もあったことがうかがえます。

これらの有名なダイヤモンドのなかには、美術館などで展示されているものもあります。もし見られる機会があれば、積極的にご覧になることをおすすめします。

https://kikinzoku.kaitoru.jp/diamond/

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